目の前に置かれたお菓子のやまに手を伸ばしそうになるけれど我慢しなくちゃいけない。だって体重が1キロも増えたのにチョコパイとか食べたらあの人に怒られる。何で控室におくの、燃やしてください、そんなことを考えていたら、メイクさんがわたしを迎えにきた。今から写真集の撮影、グラビアがはじまるのだけれどわたしの気分は最低だ。うん。

グラビアは雑誌モデルの仕事と違ってカメラマンの人にこだわりがあるから画像修正できないことが多く、肌に傷がないか必死で確かめてたっけなあ、最初のころは。今はそんなのお構いなしに体育の授業に出ているけれど、さすがに昨日のバレーボールは休んだ。レミ、怒ってたなあ。


「あさみさん、聞いてます?」

「……わたしとの会話はマネージャーを通して下さい」

「あ、そうでしたね。すみません…」


しゅん、という音がしそうなくらいかなしそうな仕草をする。
いつも話しかけてくれるかわいいかわいいヘアメイクさんと、わたしははなせない。わたしはクールがうりの、バラエティーに不向きな人間ナンバーワンの、脚タレだ。
かわいいヘアメイクさんはわたしのこと、きっと苦手なんだろうなあと思った。わたしはこのヘアメイクさんのゆったり話しかけてくれる感じやうすいオレンジ色のチーク、すきなんだけどなあ。

わたしが独特な空気を部屋に醸し出していると、マネージャーの声がして、わたしは機材の前に立った。重い重いスタジオのドアを開けてから。

いつもより女性のスタッフさんが多い気がする。
こういう時は大抵わたしの相手役の人が有名俳優だったり、有名モデルだったりするのだ。今回はマネージャーからそんなこと聞かされてなかったけど誰なんだろう。グラビアとひとくくりにしてもいろいろあるし、個人撮影をしながらそんなことを考えていると、後ろから知っている声がした。


「……河野さん?」


一瞬、ほんの一瞬、世界がわたしと彼だけになった。
はっとした。反応してはだめだった。のに、反応してしまったわたしはただの馬鹿だ。こういうとき、普通の人ならどうするんだろうか。

声だけで人物を認識できるほどわたしを熱くさせる男の子は世界にふたりだけだ。

表情を押し殺してから振り返ると、いつもと変わらずにこにこしている柳くんがいた。


「はい?」

「す、すみません…友達に似ていたもので」

「いえ……」


柳君の顔が申し訳なさそうに笑った。

すこしだけ曇ったわたしの顔も、気付かないに決まってる。
わたしの、胸の奥にあった小さな小さなハート型をした感情がぱりんとたやすく割れた音がした。

ぱりん、と割れた時の音はカメラのシャッター音でかき消される。

悲しくなんてないって思っていたはずだった。わたしには世界がふたっつあって、それが心地よかったはずだった。これ以上大事なものをこわさないように、日常というしあわせを維持していたかった。

ああ、誰も、わたしに、興味がないんだなあ。

目の前にいる大好きな人でさえ、わたしを認識してはくれない。
ぽっかり穴が開いていてそれを埋めてくれる人なんじゃないかって思っていた、わたしじゃ釣り合わないけれどアサミならこわいくらいに釣り合うこの光景を嫉妬した。わたしは柳くんの隣にはいれないんだ、居ちゃいけないんだ、アサミみたいな人間こそ柳くんの隣にはふさわしい。

誰か、わたしのことを、見つけて。


「大丈夫ですか?」

「え」

「いつもより顔色が悪いみたいなので…休憩にしませんか?」

「あの、」


崩れてしまいそうなわたしを、柳くんのきれいな手が強くつかんだ。
呆然とするスタッフさんたちをかきわけてひっぱられていく身体と、うずまいた感情を、どう表現したらいいのかわからないけれど、わたしの手首を苦しくさせている感触だけは確かだった。

いつもより顔色が悪いわたしといつもより薄くメイクをしているかっこいい柳くん。こんなに近い距離になったのは二回目。

誰もいないメイク室で向かい合ったけれど、わたしは何も言えなかった。柳くんもしゃべらないから、わたしがくちをひらいた沈黙が続いてこれ以上黙っていられなくなったわたしの口が勝手に動いた。


「お願い、嫌いにならないで」

「なんでですか」

「だって、なんか怒ってる」

「怒ってないですよ。ただ、ちょっとかなしくて」

「かなしい?」

「河野さんと親しくなれたと思っていたのに、僕は全然知らなかった」


かしゃん、とガラス容器が落ちる音がして、オレンジ色のチークが床にころころ転がった。
うつむいていた顔をあげると、かなしそうに笑う柳くんの顔があって。わたしだけが被害者で傷ついていたわけじゃないんだと思ったら、感情が一気に溢れ出してきた。

衣装がぐしゃぐしゃになるほど握っていた反対側の手を、優しい体温が包み込む。


「ひとりでさみしかったですよね」


おいで、桜、ぼくが新しい居場所をつくってあげます。
上から優しい声がしてm言葉が欲しいわたしを理解しているのかはわからないけれど柳くんはわたしにたくさんの言葉をくれた。わたしの頭をなでるやさしい手に安心したりしなかったり、なんだか複雑な心境だったけれどこんな世界もあっていい。

わたしの愛する世界がみっつになった瞬間だった。


2013*04*18
深海少女 episode3

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